当店は、私の父が14才の頃に、名古屋の某竹屋さんへでっち奉公人として、岐阜県の八百津より働きにまいり、10年の年秀奉公をあけて八百津へ戻り、自宅にて竹屋を開業しました。
開業当初は、竹の細工物を製作し、名古屋へ卸していましたが、どうしても名古屋に出たいという想いが強く、昭和28年に名古屋の当地(黒川)へ居をかまえ、現在の「竹善商店」を開業する事になったのです。
以来、今日に至るまで56年。父は他界しましたが、その長年の知識、経験、技術は、父から私へ、私から息子へと受け継がれています。
竹は自然素材ですから、仕入れた竹材も使える物と使えない物とあります。その為、他店より割高になる場合もございますが、商品に対して手抜きは一切致しません。その分他には無い面白い製作致します。他では見られない、また、「他にない」竹製品をご所望の方は、是非当店へご相談下さい。
昭和23年頃
- 昭和23年頃
- この写真は終戦直後の写真です。この頃はまだ八百津で営業していました。当時、『蘇水峡ライン下り』に来た名古屋からの観光客が、商品を購入されていました。
写真の商品は、今でいうリクライニングチェアと、ベッドです。この時代にはまだ注文が多くありました。
昭和32年頃
- 昭和32年頃
- この頃は、八百津から名古屋に出てきたばかりでしょうか。製作用の竹材を、八百津で調達し、名古屋へ持ち帰っているところです。
今では考えられない積み方ですね・・・。
昭和40年頃
- 昭和40年 img
- この頃は、まだ堀川(黒川)の水も澄んでいました。地下水が非常にキレイな地域だったので、当店の周りには染工所もたくさんあり、染物を干す竹竿をよく使って頂いていました。
今では染工所もほとんど無くなってしまいましたが、こんな時代もありました。写真は同じ方向から撮った写真ですが、今では考えられない程に違った風景です。
昭和45年〜昭和50年頃
- 昭和45年〜昭和50年頃
- この頃は、店頭に陳列し、垣根の販売を行っていました。名前は出せませんが、某企業の社長(当時)宅に入れたものもあります。
それぞれの垣根が、通常の垣根とは違った作りで、竹以外の素材を用いている物もあります。
平成08年
- 平成08年
- トラックからはみ出てしまう程の大きな垣根で、『光悦垣』と言います。
これだけ巨大な垣根は、他を探してもそうそう出てこないのではないでしょうか。納品するのに苦労した記憶があります。
平成12年
- 平成12年
- これは名古屋市内の某施設です。有名な施設なので写真で解る方もいらっしゃるでしょうか。これは正月用のオブジェで、館長さんと、デザイナーさんが決められたそうです。
平成14年
- 平成14年
- この写真は、今はもう閉められてしまいましたが、名古屋市内にあったお蕎麦屋さんの店内に置かれていた垣根です。当時のお店のご主人の『他に無い一点物を作って欲しい』という要望で製作した垣根です。写真左に見えるのは竹の根っこです。